あやまちの蒲公英たんぽぽ



彼女の輝きは、とても生身の人間が直視できるものではなかった。
目を細め、右手で陰を作って、ようやく輪郭だけを確認できる、その程度。
裏の世界を歩いてきた僕にとっては眩しすぎて、痛かった。


念願のマギステル・マギになって二年、僕は再び麻帆良の地を踏んでいた。
距離的には遠くとも、風のゲートを使えばそれは問題ではなく、にもかかわらず、この地面の感触は数年ぶりであった。
どう捉えようとしても、この地に訪れるのを避けていたといたという事実は決して否めない。
そんな自分が自然と向かっていたのは、あのころ毎日通っていた、世界樹のふもとだった。
広い敷地を進んでいると、今でも聞こえてきそうだった。あの人の声が、脳裏の端っこを削り取っていく。僕は振り払って、進む。
朝晩と未熟な自分に修行をつけてくれた、あの笑顔が浮かんでは、振り払う。進む。
そんなやりとりをしながらも、世界樹はどんどん近づいてくる。
しばし立ち止まって、目を閉じた。それでもまだ、思いが湧き上がってきた。麻帆良を去るときの悲しそうな表情を、まだ覚えていることに驚く。
だが僕はそんな自分の思考に、ふ、と笑った。生徒よりも父を追う道を選んでしまったのだ。何を今更そんなことを考えているのか。
ようやく世界樹の傍までくると、もう天辺は仰げなかった。
木漏れ日さえ届かない根元で、僕はようやく落ち着くことができる。

数日の不眠で限界だったのだろう。いつの間にか意識が奥深くへと沈んでいて、気づけば陰も出来ないほどに暗かった。
咄嗟に立ち上がり、辺りを探る。あまりにも無防備だった。これが戦場ならば確実に今目を覚ませてはいない。
情けない、自分の失態に舌打ちをする。
一通り探るが何も異変は感じられなかった。僕は一息ついて、木の幹に凭れかかる。
顔を上げて遠くを眺めると、もう陽は山にその大部分をもっていかれていた。
だがその景色を堪能する間もなく、僕は全身に緊張を走らせなければならなかった。
人物がこの付近に居る。殺気こそ感じ取れないが相当な使い手であることは間違いない。
足に力を込める。油断はできなかった。
風が髪をゆらし、それが止むと同時に僕は踏み込んだ。一瞬にしてその人物の背後に回り、関節をとる。息を呑む暇さえ与えない。
「誰だ」
低い声をだし、問う。返ってきたのは僅かな怯えを含んだ、自分の名だった。
「ネ、ネギ坊主?」
「……えっ」
僕は力を抜き、慌てて離れる。そこでようやくその人物の容姿を確認する。
年は自分と同じかそれよりも少し上くらいだろう、少女。蒲公英色の髪が、風に梳かれて綺麗に流れていた。
端正だが柔らかい輪郭をしていて、その風貌は優しげだった。
少女は僕の顔を確認すると、ふわりと微笑を漏らした。
「久し振りアルな、ネギ坊主」
少女はあの頃と何一つ変わらない声で、再び僕の名前を呼ぶ。
歳月が経っていた。本当なら気付くはずもない。なのに仕草が、声が、話し方が、何よりもその笑顔が同じだった。
「古老師」
だから僕は、あの頃と同じように呼んでしまうのだ。


日常を乗り越えていっていた。その先にあるものを求めて、絶えず手を伸ばしていた。
麻帆良祭から数ヶ月、卒業も間近に迫った日の午後、学内に侵入した者が居た。敵というよりはむしろ従者だった。
「あなたがネギ・スプリングフィールドさんですね」
背に漆黒の翼を蓄えて、彼は言った。姿形から烏族とわかるが、自分の知っている烏族とは違い、丁寧な話し方に、まず不信感を抱く。
「はい、そうですが。あなたは?」
「私はある御方に召還され此処に参りました。私は……いえ、この話はまた後にしましょう。これからお話することは、貴方のお父上に関することですから」
体をどくりと血液が駆け巡った。
僕は彼の導くまま、父を追うことになる。そう、ようやく見えた、まほら武道会よりもはっきりと輝く光を求めて。
後ろなど見なかった。まして隣など作らなかった。仮契約を交わし、力になるといってくれた人さえも、隣に置くことはしていなかった。カードは無意識のうちに明日菜さんの机の上に残してきていた。
そうして追いかけた先で、ようやく出逢えた父さん。
「お前が俺に追いついてきたのは嬉しいがな」
フードをはばたかせながら、苦笑いで僕の頭を撫でながら言ったときのことは、今でも忘れる事が出来ない。
「よかったのか、仲間、置てきちまってても」
心の底で大事にしていないと、大事にされなくなって、そのうち一人になる。
そんなことすらわからずに、光を求めて突き進んで、ぽっかりと開いた穴に自ら堕ちた自分を救うものは何もなかった。

そんな自分が麻帆良に戻れるはずもなかった。
だが今ここでぼんやりと遠くを眺めている。
隣には、仮契約こそしなかったものの、あの頃唯一心を交わした彼女がいる。


既に陽は落ち、丘の上は薄暗い。街一面を見渡せる場所に、僕と彼女は座っていた。
暗くなり、僕は彼女にようやく触れる事が出来る。前を見ていた彼女は慌ててこちらを振り向く。
「今日はどうしてここへ?」
何故と問われない為、拒絶されない為に、先ほどからの疑問を投げ掛けてみた。
「ん?いやー、なんとなくこの木を傍で見たくなってネ。傍を通ってたら懐かしくて、ついつい入ってっちゃったアルよ」
「すごい偶然ですね」
「どのくらいの確立アルかな。きっと超あたりだとスパって計算できるんだけど、あぁっ、考えただけで混乱してくるアルよ」
「ふふ、相変わらずです、古老師」
空いたほうの手で、身振り示す彼女に、意識せずとも笑いが起きる。久し振りではないだろうか、笑おうと思わずに頬の筋肉が動いたのは。
愛想笑い、相手を陥れるための甘い笑い。それらは状況さえくれば勝手に反応するほどに覚えていた。
彼女の前ではそれが全く必要ない。その心地良さから、僕は慌てて目を逸らす。
顔の向きを正面に戻し、再び街を見下ろした。

ネオンの灯が麻帆良の舞台に上ってダンスをしている。
それとは正反対に、沈黙さえ心地良い夜の闇の中。二人は動かず、片手だけを重ねている。
少年と少女ではない。女性と男性になって、そこに黙っている。異質な光景も、全て暗闇が隠してくれていた。
やはり自分にとって、闇は一番安心の出来る場所だったに違いない。そう思いこむ。思い込むこで、大抵は幸せになれた。
なのに何故、自分は光の象徴である彼女の傍に居るのだろうか。
「綺麗アルね」
ふいに左耳から声が聞こえてきた。
「はい。久し振りに来ましたが、変わりません」
「ここに通ってるときは毎晩来てたアルが、気にもしなかったのに」
「古老師は修行一筋でしたよね」
懐かしい景色が再び記憶の断片を浮き上がらせていく。彼女も同じなのだろうか。
「強さばっかり求めてたアルから」
それは自分も同じだった。けれど頷いて同調することは出来なかった。僕はただ口を瞑っていた。
『古老師は今何をしてるんですか』
『どうしてここに来たんですか』
『もう、好きな人は出来ましたか』
聞きたいことは沢山あったけれど、それらは積み上げられた砂山の中の一粒のようなもので、取り出そうとすればサラサラと崩れそうだったから、口出すことはなかった。
永遠かと思われた沈黙を破ったのは、夜を彷徨っていた冷たい風だった。
「冷えてきたアルなぁ、そろそろ帰るアルか?」
彼女は立ち上がり、服についた泥や枯れ葉を払い落とす。僕はどうしてだか、体が動かなかった。
体中が冷えていた。触れ合っていた手の平だけが温かかった。
僕の様子を不思議がっているのか、彼女は小首を傾げる。やばいと思ったときには遅かった。
「あっ」
僕は思わずその手を離してしまった。左手を伝って、無駄なくらいに響く心臓の鼓動が伝わりそうだったのを無意識に避けたのだ。
「ネギ坊主……」
「帰りましょうか」
僕は彼女に笑いかける。頷いてくれると思った。何も考えずに。
だけれども彼女は頷かなかった。
「ねえ、ネギ坊主。ワタシは弱くて、バカで、ネギ坊主の力にはなれないかもしれないアル」
彼女は自分を無理矢理引き上げて立たせる。それから僕の背中に腕を回した。
「でもこうやって、疲れたとき少しくらいや癒すことできるアルよ」
あの頃なら自分は彼女の胸にすっぽりと納まってしまった。だけど今は違う。外から見れば彼女が抱きついているように見えるだろう。
だが自分たちにとってそれは確実に幼い子にするような抱擁だった。小さな自分を暖めるような。
僕はそれによりかかる。
「それじゃ帰るアル」
そういって彼女は自分から体を離し、踵を返した。暗闇なのに、やはりその背中は光そのものだった。
僕は湧き上がるものを奥歯をかみ締めて食い止めようとする。だがそんな事をしても、一度噴火した感情の激流が収まるはずもなかった。
「くーふぇいさんっ」
僕は抱きしめていた。今では自分よりも低い、彼女の肩に顔を埋めるようにして。
「ネギ坊主?」
「はい」
「胸、当たってるよ。えっちアルなぁ」
「すみません」
「言いつつ、離れてないアルが」
「駄目ですか?」
「……どうしたアルか、ネギ坊主」
声に心配だという色を含め聞いてくる。溜め息をついたのか、肩が上下した。
僕はそのままでかぶりを振る。
「いえ、何でもないですよ」
「……そうアルか」
月明かりさえ翳り、蒲公英色の彼女の髪の色が深くなる。
太陽は隠れてしまったのに、眩しかった。瞼をきつく縫い付けると、瞳の表面を覆っていたものが零れた。
彼女の声が、鼓膜に気持ちよい。腕に感じる柔らかさより、その鼓動の上下のほうが、むしろ僕を安心させた。とくんとくんと、やすらかに腕をノックしてくる。
もう彼女に対して、眩しいと目を細める必要はないのに。
「久し振りに稽古つけてやるアルよ」
「え?」
「もうネギ坊主の方が強くて、ワタシなんか相手にもならないかもしれないアルが」
自らの涙が彼女の髪を濡らしていると分かっても、このままでいたかった。
迷走はそれで止まらない。先の見えない道をふらふらと歩いていることにかわりはない。脇にある小屋を訪れ、疲れを誤魔化しているだけで、問題は決して解決したわけではないのだ。
彼女の優しさにもたれかかって、利用している。彼女も気づいているはずだ。
それでも差し延べてくれる優しさに、心を打たれる。響いて、届くことはなくても。――大好きだと、パートナーになって欲しいと、口に出す選択肢が、二人の間に存在しなくても。
「ありがとうございます」
ああ、思えば。この少女と離れたことが、最大の過ちだったのかもしれない。
蒲公英の輝きを放つ彼女と打ち合う頭の中で、そんな事を思っては、再び溢れそうになる涙を押し込めるのに必死だった。






×× END ××

+ あとがき +
バッドエンドー。救いようがないかもしれない。
でも、青春を全て戦闘に費やした少年の心はこんなもんなんかな、と想像してたら、私も救いの道を提示できませんでした。
バッドエンドって、バンドエイドに似てませんか?
心に傷が残る終わり。傷を覆い隠すもの。そういう意味でも、似てるのかな。
よく分からないですね、きかなかったことに。。(ぇ
蒲公英色って実際にあるようです。野に映えてるよりはちょっとコントラスト押さえた感じの。
くーの髪の色っぽくて好きです。
金髪に緑の瞳。いいですよね。可愛いし、描写してて楽しいです。
2007.02.18


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