もう隠せない



ひらひらと舞う木の葉に身を紛らす。
演舞のように、剣を振るって、斬り刻むのは人の形をしないもの。
後ろで彼が目を細めている。怖がっているのではない。心配をしてくれている。分かっている。
そして、彼の隣で同じように見つめる彼女も、そうだということを。
それでも私は。
振りぬくと、赤黒いものが飛び散る。頬にもそれがかかって、袖で拭う。そこで右肩が裂けていることに気づく。死に際に力でも振り絞ったのだろう。確かになかなかの腕だった。だが京都神鳴流の自分に飛びかかれるほど強くはなかった。
口元を歪めて、後ろを振り返る。地の淵のようなここで、場違いのような姫君が慌てて駆け寄ってくる。
「せっちゃん、その腕っ」
大切な、お嬢様。優しい光にいつも包まれた、大切な守るべき人。
慌ててアデアット、と呟き、扇を手にするお嬢様を、隣の彼は軽く手で遮る。
「このくらいなら僕でも十分治せますから」
隣の彼女に柔らかく微笑んで、私の肩に手をかざす。
走る衝撃に思わず眉を潜めるが、申し訳なさそうな彼の顔を見てしまうと、短い悲鳴さえも押し込めることが出来た。
彼の――ネギ・スプリングフィールドの顔を見る。五歳年下とは思えないほど精悍で、かつ整った顔立ちをしている。そしてふとすれば、瞬く間に崩れてしまいそうな脆さも含んでいるような気がする。
だからこんなにも惹かれてしまうのだろうか。
ただの子供でいてくれたなら、どんなによかったことか。
幾ら時間が経ち、彼はかざしてしていた手を離す。今度はその微笑みを私に向けてくれる。
赤くならないうちに視線を逸らし、ぺこりと頭を下げる。
「よかったなぁ、痕残らんで」
くるりと視線を私から彼に移して、「ネギくんも上達したんやね」と変わらず笑みを湛えていう。
彼も、はい、と返す。それは紛れもない恋人同士の戯れだった。
暖かなその戯れに、ずきり、と悲鳴を上げたのはなんのだろう。ただわかるのは、時間が経てば嫌でも表に出てしまうだろうこと。
なんとしてでも防がなければならなかった。それだけは。
全てが崩れてしまうのだ。
今まで孤独でいた自分を救ってくれたお嬢様を失い、友達を失い、ネギ先生を失う。
そんな最悪の想像が明確に脳裏をつついてきては、背筋が震え上がる。
「刹那さん、どうしましたか。まだどこか傷みますか」
朧な意識に、すっと彼の声が入り込み、私は慌てて首を振った。
彼女は真っ直ぐに切りそろえられた黒髪の下で瞼を伏せて、相手の血にまみれた自らの手を握り締める。
傷むのは胸の奥。こんなにも慈愛に満ちた彼女を、気持ちで裏切っているという罪悪感が止めもなく広がっていく。
「せっちゃん?」
そんな私の異変に気づいたのか、彼女は不思議そうに顔を覗きこんでくる。それさえ今は心を縫う針のよう。
「私は大丈夫ですから」
耐え切れなくなって、立ち上がった。地に伏す夕凪を拾い上げる。
「すみません、お嬢様。お気をつけて。ネギ先生、あとはよろしくお願いします」
返事を待たずそれだけを言って、そこを走り去った。

自分の翼が嫌いだった。
芯は真っ黒なくせに、見かけだけは白くて、そのせいで忌み嫌われ、孤独に追いやられた。
それからずっと独りだったから、差し延べてくれる手がどれも信じられなかった。
だから本当は怖かった。
彼女の、お嬢様の純白の手が、自身の心を知って引かれることが。
彼の、ネギ先生の迷いなき手が、見えなくなってしまうことが。

どちらがより恐怖かと問われれば、それは。



痛い。
歩を進めるたびに地面に斑点が落ちる。通りすぎた道に、まるで道しるべのようにぽつぽつと落ちている。足から滴り落ちる血の量が、傷の酷さを物語っていた。
ここまで気付かなかったのが不思議なくらいである。よくあれで走れたものだな、と自分で飽きれててしまう。
黒く淀んだ天からも、降ってきた。黒い槍。いや、ただの雨。
見上げてみると、頬に当たり、そのまま流れ落ちた。
ただの雨。だけど、痛かった。先ほどの鬼の攻撃よりもよほど。
――よほど。彼の笑顔の方が。
「痛い……」
ついに足が歩く事を放棄する。私は手ごろな壁に背をつけて、しゃがみ込んだ。
夕凪に頭を凭れた。頬から顎を伝って雨粒が落ちてくる。立てた両足の間に、また斑点が浮かび上がる。
その場所はアスファルトのまだ濡れきっていない部分だったから、それがよく分かる。
だけどすぐにそこも雨に打たれた。止まらない涙の放流が、水溜りを作る。私は今の自分を支えてくれるただ一つの夕凪を、力の限り握り締めた。
人通りの少ない路地。普段はうるさい、耳元で何度も弾ける雨音が、今は心地良かった。このまま身を任せてもいいと思えるほどの静寂を、規則正しく降りしきる雨音に感じた。
それなのに呟いてしまう。お嬢様の、大切な人の名前を。
「ネギ先生」
そうしたなら、気づいてしまう。先ほどからずっと、建物の陰に立っていた人に。嫌でも。
彼は目元を緩め、心底優しい表情で頭に手を添える。
「はい。呼んでくれましたか」
顔を上げると、誰よりも愛しい人が目の前に立っていた。
「まさか気づかれるとは思いませんでした」
「気配の消し方が、まだまだです」
私は笑おうとして顔を歪めた。
「あはは。さすが、刹那さんは厳しいですね」
二人だけの空間に、再び天の槍が挿入する。まるで一度止み、再び降り始めたかのように、それは聴覚を支配しはじめる。
だけど視覚はもう、足元の水溜りを捉えてはいなかった。
「お嬢様はどうしたんですか」
彼は首を横に振る。否定なのか、問題ないのか、その意味は私には分からない。
「どうして来てくれたんですか」
変わらず答えずに、彼は小さく笑うだけ。
「私は大丈夫です。お嬢様の傍にいてください。この大雨で、濡れているかもしれません」
「目の前で濡れている人を放って、ですか?」
先ほどまで心地良く感じていた雨音が、今はただの鬱陶しい騒音に他ならない。瞼をきつく閉じ、耳を塞ごうとして、その手を遮られる。
「そんなこと、できるわけないじゃないですか」
「……っ」
目をしかめたのは、掴まれた手があまりにも痛かった所為。だけどその痛さが、彼の手がまだ自分に差し延べられているという実感にもなった。
この手の感触が消えていくなんて、考えることも恐ろしかった。
脳裏に一人の少女が浮かぶ。大切なお嬢様、いや友達である、このちゃん。浮かんだのは笑顔ではなく、泣き顔だった。
咄嗟に掴まれた手を払うと、彼の表情が苦痛に歪んだ、ように見えたのは、きっと気のせいなのだ。都合のいい自己解釈に過ぎない。
だから。これ以上近づかないでほしい。
「刹那さんを一人には出来ません」
次に近づかれたら。
「一人にしたくないんです」
もう、隠せないから。

止むことのない雨が二人の姿を消してくれる。
メロディーとはとても呼べない乱立した雑音だから良かった。溢れるものを少しでも隠してくれる。
もう、その必要はなかったけれど。
「私は、ネギ先生の事を――」
世界中全てが冷たく突き放す中、私は今、確かな体温にくるまれている。
目の前にあるこの冷めた世界で、誰よりも愛しく思う彼の胸に、私は一言だけを呟いていた。





×× END ××

+ あとがき +
刹那は落ち込んだり深みにはまったら真っ逆さまだと思います。
そうでなければ、木乃香を助けられなかったとはいえ自分の過失でもないのにあんなに自身を追い込んだりしないのではないかと。
修学旅行のとき、ネギが引き止めていなければどうなっていたんだろう。
もしあれが大切が故に自身を追い込む原因となった木乃香だったら?
本当に、刹那は姿を消していたのでは?
いろいろ考えてみると、ネギま!の設定って結構えぐいもんがあります。
2007.03.05


++++ プラウザバックぷりぃず ++++