仮契約、破棄
- Plastic Lies -
自分の身に起った事を理解するのは、少し後。
私は、『少し』という概念が一定ではない事を理由にいつまでもそれに縋る。
理解、納得。そんなものに思考を費やすことは出来ない。単純作業を繰り返す。
自分の前方で、一人の少年が少女と笑っていた。教室の奥で、皆に囲まれながらも照れを隠さずに微笑み合っていた。僅かの隙を狙って視線を交し合う二人――それは最早クラス公認のカップルだろう。
「二人お似合いやな。明日菜もようやく素直になったみたいやし。……ネギ君嬉しそうやし」
お嬢様が私に話しかける。それを霧がかった思考の中で返答する。
「ええ」
「やっぱり諦めんとあかんのやろうな……」
「はい」
お互いが、お互いの眉が顰められていたことになど気付くはずもない。
私は気付いていないのだろう、その存在に。
視界には二人しか映っていない。何ものも介入しない空間が目の前に広がっている。
真っ白な空間で微笑み合う二人に、はたして私は何を思っていたのだったか。
ネギ先生。
ネギ先生、と。それだけではなかったか。
痛みに立ちすくんで、動けない私がいる。
彼は輪の中から抜け出すことはなかった。でも自分の中では、彼は明日菜さんから離れて私の元に歩み寄ってくれる。
名前をよんでくれる彼の声が愛しい。
光の中で触れてくれた唇が彼の唇を求めて止まない。
「僕には刹那さんだけですよ」
いつか言ってくれた言葉を、目の前の幻想に委ねて繰り返す。優しく微笑んでくれた彼は、もう何処にもいないのだと脳は認識しない。
ただ事実を突きつけられるだけで、受け入れる環境は調っていないというのに、自分の中の何かはそれを許さない。
――刹那さん
ネギ先生。あなたに断ち切られた私は、どうすればいいのでしょう。
今までは繋がっているという想いがあったから、自己を保てたのだと思う。
他の人を見ていても、私と彼にはカードがある。仮契約という名の絆代わりである桜咲刹那を写したカードが、パートナーの証が彼と私の手にあった。だから偽った気持ちで愛を語られても、自分の他に好きな人――あの人と、お嬢様等その他数名のネギ先生を愛する、仮契約を結んだ人――がいても耐えられた。
耐えられた?
少し……違うのかもしれない。誤魔化す事が出来たのだ。まだ自分はあの人の傍にいられるのだ。他の事は考えなくてもいい。
ネギ先生だけ見ていられれば満足だった。力が欲しいならば幾らでも貸すし、求めるならばこの体など喜んで差し出せる。いつかは私だけを見てくれる、そう願っていた。
でもそれが崩れた。
彼はパートナーとして一人の人を選んだのだ。私以外の、人を。
初めは人外だからだと思った。だが明日菜さんもとても人間とはいえない。それはないだろう。それに彼はそのようなことで誰かを分別したりはしない。もしそうならば好きになってはいない。
あの時。大切な、たった一人の親友を守るために広げた翼を、綺麗だと言ってくれた人だから。
一緒に守ろうと、優しい目を向けてくれた。
逃げようと思っていた私を抱き寄せてくれた。
口付けてくれた。抱き締めてくれた。
私の心は溶けて、彼だけの為に生きているようなものだった。お嬢様の護衛という目的があったにはあったが、その頃の自分には既にひとつしか見えていなかったのだ。
今も、そう。途切れる思考が辛うじて言葉を見つけて紡いでいるようなもの。
「んもう、ネギったらしょうがないんだから」
不機嫌そうな表情のなかに、喜びを混ぜて彼に探り当てられる事を望んでいる誰かがいる。
それを、自分にしたように優しく腕の中に収める彼の姿がある。
「ふふ、照れてる明日菜さんも可愛いです」
聞きたくないです、ネギ先生。
「明日菜さん以外の人なんていりません」
聞きたく、ない。
「僕のパートナーはずっと明日菜さんだけですから」
聞きたくないっ!
あの日、傾いた日が窓越しに眺められる教室の一角に、二人はいた。
誰にも気づかれない逢瀬を垣間見てしまったのは不運だったのだろうか。皆の前では見せない表情を交し合い、お互いしか見えていないような眼差しを向け合っていた二人。
赤く染め上げた教室には誰一人いないか、あるいは明日菜さん一人がいたはずだった。
放課後はいつも剣の稽古をつけているというのに、今日はなかなか広場に現れなかった明日菜さんを探しに行ったのがそもそもの間違い。
否、明日菜さんが存在することそのものが――。
ぐるぐると回る。息が出来ず、入り口で立ち止まった私を救ってくれるはずの人は、教室で行われている情事の当事者そのもので。
二人の姿から目を逸らすこともで出来ず、呆然と眺めていた。頬に何かが伝っていたような気もするけど、その時の自分には至極どうでもよいことだ。
相手の首に腕を回し、抱き寄せる少女。その少女を抱えこんで、少女のあちこちに口付ける少年。
何が起っているのか、何故二人がそうしているのかが分からない。
廊下に背を凭れたまま、眺めている間の時間を一切感じることもなく日が沈んでいった。
日が暮れ、部屋に戻った私に一通のメールが届いた。ライトが明日菜という文字を浮かび上がらせている。思考を走らせることなく、届けられた文面を読む。
『もしかして待っててくれた?』とか。
『今日はごめん、ネギに呼ばれててさ』とか。
『成績悪いからって居残りさせられちゃってて』とか。
『ネギもごめんって伝えてくれって言ってるよ。直接言えばいいのにね』とか。
そんな文章だった。
その翌日にはもう、教室で二人が囲まれていた。
慌てて心の拠り所となっていたカードを探すも、消失していた。
信じたくなくて、必死に探す。制服のポケットも、鞄の中も、全部。だけどなかった。
抗いようのない強い拒絶を感じて、ただ立ち尽くす。
「二人お似合いやな」
――そうでしょうか。
「やっぱり諦めんとあかんのやろうな……」
――有り得ない。だって私は。
ずっとネギ先生のパートナーなんですから。
世界樹が根を張る広場に、少女を見つける。
この人がネギ先生を奪ったのだ。ただ一緒に住んでいるというだけで。その無邪気を装った笑顔で奪い取った。
「明日菜さん……今日は稽古の前に手合わせしましょう」
握り締めた夕凪に込められるだけの殺気を込めて、それでいて相手にはそうと悟られないように対峙する。
隠蔽するのは得意だ。
「え、いいけど。手加減してよね」
目の前の彼女は、何も知らずに了承の返事をする。
瞬間、私は距離を詰めて鞘から刀身を抜いていた。
何故だろうか。
自分だけと言っておきながら違う人を選んだ彼を傷つけようと思わなかった。
きっと、そうだ。
私を見てくれればいい。邪魔がいなくなればいい。
いつどんな時でも、大切なのは彼一人だから。彼がいてくれればいいから。
濁った液体で穢れた夕凪を眺めながら、そう思っていたのかもしれない。
地面が紅く染まる頃、誰かが笑い声を上げる。
聞きなれた声が、自分のものだと気付く。
不愉快なほど気分がいい。
涙は相変わらず頬を抉っていたけれど、それさえも良い心地だった。
空を見上げる。太陽も雲も青空も消失してしまっている。
幾分か経ってからはお嬢様とネギ先生が駆け寄ってきていた。
「刹那……さん」
愛しい人の声に振り向く。
ただもう、自らの瞳は彼以外何も映しはしなかった。
「愛していますよ、ネギ先生」
「……ええ、僕もです」
×× END ××
+ あとがき +
最後のネギ君のセリフは、まあ察してください(ぇ
でも殺されるのを恐れて言ったわけじゃないですよ。
副題の「Plastic」は名詞ではなく形容詞で。
・いかさまの、見せかけだけの
・誠実さに欠ける、白々しい
のような意味があります。「Lies」は「lie」の複数形。「嘘」の方です。
さて本編。
アスネギが特別嫌いというわけではないのですが。刹那にはちと酷い事を考えさせてみた。
最愛の、拠り所である人を奪った人ということで。これくらいは考えるだろうと。
原作の仲睦まじい明日菜と刹那の姿を想像してはだめですよw
この話の刹那の心の中はどろどろだから。
この先ネギがだれか一人を選んで、他の誰かの精神が壊れてしまったとか展開があれば最高です。
いやないだろうけど。というかそれ書いたらネギま!じゃなくなりそうですね。
精神崩壊候補だと、ネギラブ度上位四名(のど・夕映・古・明日菜)あたり。
個人的に古菲は結構理性保ってくれそうですが、私の手にかかると途端に破綻するという恐ろしさ。
2007.06.22
++++ プラウザバックぷりぃず ++++