NUMBER .003



文化祭が二週間後に迫ったある秋。
教室を一歩でると、廊下は驚くほど静かだった。といっても教室が煩かったわけではない。
あの日から、一線を宙に引いたように生徒は大人しくなった。騒いでいることは騒いでいる。だけど、それも意識してのこと。羽目を外すなんてことはない。
僕は肩を竦めて歩いた。
放課後になっていた。まだやりかけの仕事が残ってはいたが、なんとなく風に当たりたくなり、校舎を出る。
息をつこうとクラブ棟の芝生にゆっくりと腰を下ろした。
さわさわと風にのって、放課後の生徒達の語らいが耳を撫でている。もう青い樹はどこにもない。
木枯らしに目を細めていると、髭とタバコで印象付けられているタカミチを見つけた。今日も例に違わず煙草を右手にふかしている。その様子に思わず目を細める。
この人のどこがよかったのだろう。
そんな感情は押し込めて、タカミチをみあげる。それがそのままお互いの位置。
「どうしたの?」と問うまでもなく、俊敏に用件を伝えてくれた。それは嬉しい気遣いだった。
タカミチはどうやら自分を探していたらしい、学園長が呼んでいると教えてくれた。
溜息をつく。膝に手をかけ、立ち上がる。
廊下の窓を開けると、まだそれほど冷えていない風が吹き込み、心地よかった。
「京都に出張を頼みたいのじゃがの」
しんとした学園長室に足を踏み入れると、後ろ頭のでっぱった白髪の老人が、窓の外から目をゆっくりとこちらに向けた。
「高畑は他に外せない用があってな。ほれ、AAA関連で明日から出ることになっておるんじゃ。それでネギくんに頼みたいと思っての。お願いできるかな」
「京都に、ですか。まさか以前の人たちがまた何か始めたとかでしょうか」
「まあ目的は似たようなもんじゃと思っておる。ただ相手が不透明なのが如何すべきか、というところじゃ」
「とするとまた木乃香さんを」
「それはまだはっきりとは分かってはおらん。とりあえず向こうできいてくれんか」
「向こう?」
「木乃香の父じゃ。関西呪術協会総本山じゃな。話はつけておるからの」
――木乃香さん。
「どうかしたかの」
「……いえ。行きます」
「さっそく明日からお願いする。向こうには刹那くんもおるし、二日もあれば戻ってこれるはずじゃ」
刹那さんは、今京都にいるのか。
それは何故だろう。木乃香さんの護衛をしているのだとばかり思っていた。やはり京都には木乃香さんの身に害するものがあるというのだろうか。
初めて刹那さんという存在を強く意識したのは、たしかあの時だ。それまでは何故あんな長刀を保持しているのか、そんな程度の疑問をもっていたぐらいだった。クラスメイト全員隔たりなく。そんなものは言葉上で踊る仮想のものでしかなかったということが、証明されてしまった。
クラスメイトの一人だった彼女。それが、あの時変わった。剣を構える姿は、騎士を僕に思わせた。実際その通りだった。修学旅行での一連の行動に、僕は情けなくも彼女に助けられてばかりだったのだから。
木乃香さんを奪われた自分に代わって、隠していた翼まで広げて、尻拭い。いや、そんなことすら考えていなかっただろう。木乃香さんを想う。ただそれだけが彼女を動かしていた。
彼女にとって自分はきっと頼りない子供先生で。でも僕にって刹那さんは、これ以上にない木乃香さんの騎士ナイト
綺麗、だった。
だけれど僕は、いつだって刹那さんの行動を肯定出来なかった。

学園長室を後にし、僕は世界樹広場へと向かった。マスターとの修行に加え、古菲さん――古老師にも師事させてもらっている。中国武術は得ていて損はない、と考えて。
それに楽しかったから。古老師に稽古をつけてもらうのは、楽しかった。バトルを楽しいと思ったことはない。進んで戦おうと思ったこともない。
そんな自分が、彼女とやりあうと、湧き上がるものがある。そう、僕は初めて戦闘に興を見出すことができた。喜ばしいことかどうかは、置いておいても。
おかげで毎晩帰るのが遅くなってしまうのだが、今日は朝食の時、木乃香さんは図書館探検部で遅いらしいと聞いていたから、待たせなくてすみそうだった。
修行が終わった後、たまには夕食でもつくってみようか。木乃香さんほど上手くはないけど、喜んでくれるといい。そしてその時に、話をしよう。
僕は少し顔を綻ばせて、歩幅を大きくした。

木乃香さんは最近少しずつ笑顔を取り戻してくれている。
慣れないながらもようやくこしらえたハンバークをテーブルの上に置くと、彼女は小さく微笑んでくれた。以前のようではないけど、その笑顔に僕は癒される。
「明日から出張で京都に行くんです」
だからすらすらと、言いづらい言葉も口からでてくる。
「え、京都……?」
「はい。刹那さんも向こうにいるそうで。学園長によると二日くらいで戻ってこれるそうです。その間一人にしてしまうんですが、いいですか」
僕はずるい。いいか、と問われて。彼女が頷くことを知っていて、尋ねる。
一瞬彼女表情が険しくなった気がしたが、またすぐに笑顔にもどる。
「うん、ええよ。うち待っとるから、頑張ってな」
「あ、はい、ありがとうございます」
「あと、……せっちゃんにも、よろしく言うてくれへん」
「――わかりました」
次第に俯き始めていた僕の視線を戻したのは、微笑んだままの彼女の声。
「ネギくん」
僕は顔を上げる。
「名前で呼んで。敬語はなしや」
「はい、じゃなかった。……木乃香」
「ネギくん。抱き締めて」
彼女の頬に寄っていき、その細い背中に腕を回す。――『ネギ』と僕を呼ばないことに、感謝をしながら。
「ん、もっとぎゅってして」
腕に力を加える。柔らかな感触に包まれる。肩口に顎を乗せると、仄かな香りが鼻腔をくすぐった。
「……うち、二日間ちゃんと頑張るな」
「ありがとう、木乃香」
僕は最後に、出来るだけ丁寧に名前を呼んだ。
それからはいつものように抱き合った。
彼女の温度が肌に心地良い。触れる箇所全てが熱をもち、明日の不安などその間は忘れられる。
刹那さんとの二度目の再会がどのようになるかなんて予想もつかないところだけれど、ごくありふれたものだけは想像できなかった。
おかしいだろう。だって、ただ会って、状況を聞いて、出来るならば協力を得て。
それだけだ。それだけのはずだ。他には何もない。
僕は彼女の高い声を聞きながら二度果てて、いつのまにか目蓋を落としていた。


ただ広い駅を抜けた。同時に、脇に埋め込まれた紅葉が両手いっぱいに広げて向かい入れてくれる。
広告に並ぶ写真のとおり、秋のここは穏かな色に包まれている。
以前もここを訪れたことがあった。京都には一種の憧れのようなものがあったから、それは願ってもないことだった。
修学旅行の際、日本の古都として有名なここへ来られるとして、だが行けなくなるかもしれない、と一喜一憂をした。あの時は季節を外しての訪問だった所為か、色もなく感慨も少なかったように思う。
しかし寺では青い葉が瞑想しながら無防備に揺れ、どこからか水の流れる音が聞こえて、騒ぐ心が落ち着いていたのを覚えている。その時も、さすがあの京都だ、と思ったものだ。古都というならば、イギリスにもあったがそれとはまた違った趣があった。
僕は肺いっぱいに空気を取り込むと、その足で関西魔法協会総本山へと向かった。
木乃香さんの父はかの人が喜びそうな渋みのある、自分には絶対に出来ない笑顔で歓迎してくれた。
「お義父さんから話は聴いています。いつも木乃香がお世話になっていますね」
僕は首を振って、こちらこそ、と返す。事例の挨拶でもなんでもなく、本当の事実として。
「神鳴流内部でどうも揉めているようで。本来ネギ君に頼むべきことではないのですが、以前木乃香を狙ったものの中にも神鳴流がいましたし、それに神鳴流には護衛を頼んでいた彼女もいます。今はその任を解いてはいるのですが、少し気になりまして」
「それは構いません。僕の生徒ですから」
「そう言って頂けるとありがたいです」
「まだ狙ってるんでしょうか」
「いや、それはまだ分かってはいません。だが木乃香のことはおいておいても、神鳴流には彼女がいます。それが一番の理由なのかもしれません」
その曖昧な返答に、意識せずとも眉間に皺を寄せる。
「彼女に何か危疑することでも?」
彼はやや細みの顎に手をもっていき、すこしの示唆のあと、首を横に振る。
「ここ最近の彼女の行動が不透明なのです。もちろん一人の人間を縛っているわけではないから当たり前なのですが、どうも腑に落ちないことが多すぎまして。以前も神鳴流、今度も神鳴流。とくれば何らかの関係がない方がおかしいですから。まあこれも今起っていることの可能性のひとつなのですが」
僕は頷く。
「お願いしたいのは、そのあたりを調べてくれないか、ということです。異変がなければそれでいいし、もちろん専門ではないから不都合はあるだろうが出来るだけかまいません。可能であれば刹那くんとコンタクトをとってください」
それから彼に泊まっていって、という誘いを受けた。僕は先ほどされた話を思い浮かべながら湯に浸かる。一人の少女が浮かんだ。
『僕の生徒ですから』なんて、よく言えたものだと思う。彼女は生徒である事を放棄し、また自分も彼女を引き止めるどころか投げた。
明日には分かるのだろうか。刹那さんが木乃香さんの元を離れてまで京都にいる理由が。分かるのだろう。長は任を解いた、といっていた。それならば確かに木乃香さんの傍にいて守る必要はない。
しかしそんなことで、離れられるのだろうか。あれほどまでに近衛木乃香に固執していた、彼女だから。
一切の翳りのない月輪を見上げて、そんなことばかりを考えていた。


霧も止まない早朝、僕は山中で息を切らしていた。
もはや繰り返しすぎた始動キーを、更に口の中に溜めて吐き出す。
――ラス・テル・マ・スキル・マギステル。
来れ雷精、風の精。雷を纏いて吹きすさべ。南洋の嵐。雷の暴風!!
旋風と稲妻が相手を巻き上げ、その何体かが飛ぶ。それでも次から次へと襲い来る敵の多さに、ぎりりと奥歯をかみ締める間もない。
自身の体のあちこちから流れる鮮血。頬は切れ、瞬間左腕は少し抉られていた。
「くぅっ」
痛みに肩膝を突く。いまだとばかりに飛びかかるそれらに、ようやく振り絞った力で光の矢をぶつける。
もうどれだけ時間が経っているだろう。
敵一体はそれほど強力ではない。けれど数が多すぎた。漆黒の翼を広げ、飛翔するそれらを相手にするほど成長しきっていないことは自分でも分かっている。マスターや古老師から教えを受け始めたのはつい先日のこと。経った日数など両手足の指で数えられる。
爆風で木の葉が舞い、視界が一瞬遮られる。気づいたときには、すでに自分の腹部に不格好な剣が突き刺さっていた。

僕は長の言われたように調査を始めていた。刹那さんを見つけることは出来なかったのだが、今回の騒ぎに関係しているだろう者は掴むことができた。
そしてそれは人外だった。
僕は焦っていたのかもしれない。早く麻帆良に戻りたかった。木乃香さんを一人にしたくなくて、なによりも自分が独りでいたくなくて。世界が切り離されたようにも思える、この森で歩いていると、そんな事を思う。だから、“それ”が現れてくれたのはよかった。孤独を拭い去れる。何秒か後には後悔する事になっても。
そうして自らそれらの罠に飛び込むようにして追った。連絡の一つでも入れれば今こういう状況にはなっていなかっただろうに。僕は猛獣に睨まれた小動物に過ぎなかったのだ。
確かに一体一体の力は僕よりも小さい。だけどそれが十、百を超えるとなると――。

霧でか、血を流しすぎたせいでか、視界は霞み白く濁っている。息が切れる。整然すべき呼吸も乱れはじめている。もう闘気は薄れかけていた。
一体いくらいるのか。倒しても倒しても黒き烏人が立ち塞がる。
その彼らの紅い眼を睨むこともできない。僕はうつ伏せになっていた。地面には血で水溜りができた。今までもったのが不思議なくらいだった。ここで意識を手放せば、悲しむ人がいる。だから我慢が出来た。
けれどいくら我慢をしたところで、人のそうした想いを簡単に両断する瞬間というものがある。その瞬間は自分では分からない。今だって気づいたら肩膝だけでなく両膝を、足だけでなく頭もついていたという状況だった。
背後には気配があったけれど、それすら他所の出来事のように、僕は自らの血が沁みこんでいく地面をぼんやりと見詰めながら意識を手放されていた・・・・・・
「神鳴流奥義。百花繚乱!」
意識が途切れる前、こんな声が聞こえた。鋭く切れた声で。「止めておけ」と。




××× NEXT ×××

+ 中書き +
やはりどこか壊れてるね、ネギくん。
ぐだぐらですが、結構重要な話でした。自分の中ではw
古菲をはやく出したいです。けどもうすこししたら出てきます。
もっと木乃香とネギをトロトロな関係にしたい。。
2007.3.14